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こだわり

自宅介護やターミナルケアもお任せください

こだわり

年齢や病気によって体力が低下してしまった場合、動物病院への通院が難しくなるペットもいるでしょう。
当院ではそんな、病気や障がいを持ったペットに対し、往診による自宅介護やターミナルケアを行っております。
点滴を始めとした様々なケアの方法を、飼い主さまにもしっかりとお伝えし自宅での生活のサポートを行います。
疑問点などあれば遠慮なくお伝えください。

当院のロゴについて

ロゴ

当院のロゴは久米田池の伝説にちなんで「龍」と「壺」をモチーフにしています。
八木地区で育った方であれば中学校で習う久米田池の「乙御前(おとごぜ)伝説」と「酢壺池伝説」。
私の祖父母や両親も中学校で学んできたそうです。

久米田池は奈良時代に行基(弘法大師)が聖武天皇の命を受けて橘の諸兄とともに当時最新の土木技術の粋を集めて完成させた人工池です。
もともと雨が非常に少なく干ばつに苦しんでいたこの土地を千年以上にわたり潤してきた命の池。
その池を守るために作られたのが久米田寺と言われています。
水をいただき命を繋いできた八木地区がだんじり祭りで久米田寺に宮入するのはそのためです。
乙御前(おとごぜ)は親しみをこめて「おとよさん」と呼ばれています。

おとよさんは久米田池の土木工事で働く男性たちに食事の世話をする働き者。
皆のアイドルでありましたが一人の若者と恋に落ちます。しかし彼は工事中の事故で亡くなってしまいます。
悲しみにくれつつも彼女は仕事に邁進。その後無事に久米田池は完成し、その時にはおとよさんは当時の結婚適齢期を大幅に過ぎ20歳を超えていました。
行基はその年まで独身で働いたおとよさんに感謝し、褒美をやると言いました。
しかし彼女は「褒美なんていらないからずっと久米田池とともに」と言い、龍となり久米田池に飛び込みます(大蛇とも言われていますが)。
その後久米田池のヌシとなったと言われているのです。

だから久米田池のヌシは女性です。この伝説を聞いた当時の私は、奈良時代の結婚適齢期が15歳と知り衝撃を受けたことを覚えています。
※口承のため学術的に違うところがあってもご容赦ください。

酢壺池伝説は、正直なそうべえと言う若者が通りがかりの男性に久米田池へ使いを頼まれます。
「この手紙を久米田池まで持っていってほしい。池についたら手を3回たたけば女性が出るから手紙を渡せ」と言われました。
歩いていたら坊さんに声をかけられます。「死相が出ているがどうしたんや」話を聞いた坊さんはその手紙を開封しました。
手紙は白紙で何も書いていないように見えましたが坊さんは「この手紙には、この男はうまそうだから食え、と書いてある。
ワシが書き換えたるわ」と言い、カボチャのへたをボキととってなにやらスラスラ書きました。そうべえはその手紙を持って久米田池に行きました。
すると、目もくらむような美しい女性が出てきて、手紙を渡すと中の御殿に案内され接待を受けたのです。
3日が過ぎ、そうべえは帰ることを告げると乙御前は「無限に酢が出てくる壺」をくれます。
「蓋を開けるな。中を絶対にみてはいけない」と言われてそうべえは帰宅します。

村に帰ると30年がたっており知っている人はいなくなっていました。しかしそうべえは酢を売ることで大儲けします。(伝説の真偽は別として泉州地域が酢の名産地であったことは事実のようです)その後行き倒れの女を助けその女性と結婚し子どもをもうけ、幸せな時間を過ごしました。
ある日、そうべえは酢壺の中を覗いてしまいます。中には白い蛇が一匹。とつぜんその白蛇が妻であるはずの女性に変化します。
もう一緒にはいられないと、女性は子を残して消え、酢壺は酢が出なくなりました。嘆き悲しんだそうべえの涙で池ができ、そこに酢が枯れた壺を捨てます。
その池を「酢壺池」と呼ぶようになったと言われており、私たちはすっぽん池と呼んでいます。きっと「酢壺池」がなまったのでしょう。
浦島伝説とも重なる部分が多い、面白い伝説です。

そんな、この地域ならではのロゴデザインを採用しました。

お問い合わせ

くめだ池どうぶつ診療所は、大阪府岸和田市額原町にある動物病院です。
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